フラダンスって何?
もちろんハワイの伝統的な踊り、ですよね。
でも本来、誰がどんなところでおどる踊りなんでしょう?
フラダンスのことを調べていると、ハワイの歴史の勉強にもなる、というおはなしです。
フラダンスってどういう踊り?
フラダンスの種類
現在フラダンスと言われているのには、大きく2種類あります。
フラ・カヒコと呼ばれる古典フラ
フラ・アウアナと呼ばれる現代フラです。
古典フラは、たいていは打楽器のリズムに合わせて詠唱と組み合わせて踊るものです。
名前の通り、古くから踊られているスタイルを踏襲したフラで、宗教的な儀式や、伝説や文化の伝承と深く関わっています。
現代フラは、ドレスなど華やかな衣装で、ギターやウクレレ伴奏のついたメロディーのある歌で踊ります。
普段日本で「フラダンス」というと、この現代フラのことが多いのではないかと思います。
フラは踊りだけじゃない
ハワイは独自の言語がありますが、文字を持っていませんでした。
宗教行事や伝説などの文化は、詠唱や楽器の演奏、踊りなどで伝承してきました。
フラはその総合的なもので、踊りだけではないんですね。
フラがハワイの伝統/文化の中核をなしているということなんです。
最近では日本のフラ教室でもアウアナだけではなく、カヒコやオリ(詠唱)も教えてくれるところが出てきました。
ハワイにクム・フラのいるハラウの日本スクールなら、カヒコとオリを教えないところはないと思います。
ただ通常「フラ」というとフラダンスをさすことが多いです。
フラダンスの歴史
文字のないハワイでは、いつごろからフラが踊られるようになったのかわかりません。
ポリネシアのタヒチなどから伝わってきたものと考えられています。
またフラは宗教的な行事とも密接にかかわっているので、フラの起源にはハワイの伝説の女神ペレや他の神々が登場する伝承がいくつかあります。
ただそもそも神殿での宗教行事には男性だけが参加できたということで、もともとはフラも男性だけが踊ってきたもののようです。
フラダンスの記述が最初に現れるのは18世紀
キャプテン・クックのディスカバリー号がハワイを訪れたのが1778年、西洋人によるフラダンスについての日誌などへの記述が残されるようになりました。
私の知っているいくつかは、どれもフラダンスに感銘を受けている好意的な記述です。
もちろんこの時に見られたのは、今で言う「カヒコ」ですね。
朗々とした詠唱、それに続く打楽器のリズム、力強いステップ。さぞや神秘的に見えたことでしょう。
19世紀のフラダンスの危機時代
ただこのあと続々とヨーロッパやアメリカから人が渡って来て、人々の価値観も変化して行きます。
ハワイがカメハメハ大王によって統一されたのが1790年ですが、(良く言えば)ハワイの近代化ということになるのでしょう。西洋的価値観がどんどん取り入れられていきます。
1819年にカメハメハ王が他界した後、カプ(禁令制度)が廃止されます。それまで何世紀も守られていた信仰を否定し、それまでの精神性が崩壊してしまいます。
特にキリスト教伝道師たちの目には、フラダンスは「淫らなもの」「野蛮なもの」「慎み深くないもの」と映ったようです。それにフラダンスは宗教に関わるものですから、キリスト教伝道師からすれば「異教のもの」ということになるわけですね。
そしてついに1830年に、カアフマヌ 女王(キリスト教の洗礼を受けていた)によって、フラダンスのパフォーマンスが禁止されてしまいます。
ハワイ文化、フラダンスの大危機です!
そしてハワイアンの人口激減が衰退に拍車をかけます。
1874年にはハワイアンの人口は、キャプテン・クックが到着した当時からの約100年で6分の1の5万人になっていたということなので、かなり悲惨な状況だったようです。
欧米から持ち込まれた感染症などが原因とされています。おそろしい・・・(特にこの新コロナ禍の中にあっては)。
カラカウア大王時代はハワイの古典文化復権時代
西欧、特にアメリカとの距離がどんどん縮まる中、1874年にカラカウア大王が即位します。
アメリカへの傾倒が止まるわけではありませんでしたが、ハワイの文化的にはここで衰退に歯止めがかかります。
ハワイの文化が再び日の目を見ることになりました。
フラの祭典で一番大きい「メリー・モナーク」は、このカラカウア大王の愛称です。「陽気な君主」という意味です。
カラカウア大王のおかげで、忘れ去られようとしていたハワイ文化が復興することになりました。失ったものもあったのだと思いますが、間に合って良かったです!
そして現代フラと言われる「アウアナ」が登場したのもこの時期です。
カラカウア王の死後(1891年)、王位を継いだ妹のリリウオカラニ女王も音楽を愛するひとりでした。誰でも知っている「アロハ・オエ」は彼女の生んだ名曲のひとつです。
しかし、アメリカの勢力はどんどん強まり、ついに1893年にハワイ王朝は崩壊してしまいます。
ハワイ文化の抑圧の時代
ハワイ王朝の崩壊と、その後の混乱時代(ハワイ共和国が樹立したり・・・)。
フラダンスを含むハワイ文化はまたしても危機を迎えます。
20世紀前半は、祈りをささげること、フラダンスを踊ること、ハワイ語を話すことが、またしても野蛮なことだとされて、禁止されてしまいます。
それでも家庭ではハワイ語を話したり、親からフラダンスを教わったりということはひっそりと続けられてきましたが、いろいろな文化がこの時代にまたしても失われてしまいました。
ハワイ、フラダンス復興の時代
1900年、ハワイはアメリカ合衆国に併合されます。
観光地として有名になったハワイでは、ハワイ文化としてではなく、観光客を楽しませる娯楽としてフラダンスが復活します。
「ワイキキ・フラ」とか呼ばれます。
ココナッツブラに腰みのを付けて華やかなレイを着け、南国ムードたっぷりに観光客を楽しませるものです。
ハリウッド映画にも登場したり、「ハパ・ハオレ」 と呼ばれるハワイの曲が流行したりします。
ある意味、これはフラ復活の助けにもなるわけですね。
1959年に、ハワイはアメリカ合衆国の51番目の州となります。
そして1950~60年くらいに、ハワイ文化復興の機運が高まって行きます。
ちょうどエルビス・プレスリーの映画「ブルー・ハワイ」がヒットしたころです。
1970年代になると、その復活の波は大きなものになって行きます。
そして現在のハワイ文化の再興につながって行くのですね。
第1回目のメリー・モナーク・フェスティバルが開催されたのが、1964年です。フラダンス部門が追加されたのが、1971年です。
最初は9組のハラウが出場しただけでしたが、ご存知のようにどんどん拡大して、この大会に出ることは最高のステータスだと言われるまでになりました。
今現在、私たちがこんな風にフラダンスを楽しめるようになるまで、いろいろなことがあったんですね。
この文化が困難を乗り越えて伝えられてきたことを喜ぶとともに、たぶん失われたものも多かったのだろうと心が痛みます。
フラダンスはハワイ文化そのもの
本当のフラダンスを踊りたいなら、ハワイ語を学び、チャント(オリ)を唱え、ハワイの歴史を学び、深くハワイ文化を理解する必要がある、と言われるゆえんですね。
フラダンスを踊るということは、ハワイの文化と伝統を踊っている(伝えている)ということなんですね。
しっかり勉強して行かなければ・・・!
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